2025年〈1985年(126期)三田会〉卒業40年同窓会 開催報告 思い起こせば私たち同期の多くが還暦を迎えた2022年。その5年前である2015年には実働責任年度三田会として、同期全員が「社中協力」の言葉のもと、約2年にわたる準備活動を経て開催した「2015年慶應連合三田会大会」。 その大会実行委員慰労会の最後、参加同期委員の前で「次は、還暦祝いを皆でやりましょう!」と、壇上から伝えてから粛々と準備を進めていた「同期還暦祝い大同窓会」――しかし数年後に世界を見舞ったコロナ禍で、キャンパスでは後輩塾生たちは、実際の教室での授業がままならないうえ、部活動やゼミ活動などさまざまな活動を制限される事態に。幾度も塾や塾同窓会である連合三田会と相談をさせてていただく中、OB&OG塾員である私たちが「還暦祝い」の同窓会をすることは「社中協力」の教えとはならない!との同期同窓会委員全員の総意で断腸の思いながら、「同期還暦祝い大同窓会」を中止決定をしてから3年・・・。 卒業40年を迎えた2025年3月、数日前には降雪を記録し天候も心配されましたが、3月22日(土)の卒業40年同窓会開催当日は、想像もできないほどに季節が進み、朝から春を通り越したような暖かい日差しの下、「3年越し」での友との再会を待ちわびた400人をゆうに超える同期たちが、三田キャンパス内生協食堂ホールに集っていただくことが叶いました。 昼過ぎに開会した本同窓は、「開会宣言」から「塾歌」の斉唱で幕を開け、15年前の「卒業25年記念事業大同窓会」の際に、残念ながら共に卒業25年を迎えることが叶わなかった同期の方がたを全員で黙祷を捧げたことにならい、あれから15年の月日の中で本同窓会でも残念ながら帰天をされた方々を偲び、今回も全員でご冥福を祈り、黙祷を捧げました。 その後、2015年慶應連合三田会大会では実行本部長を務め、卒業40年の本年は4度目の実行委員年度として迎える10月19日開催予定の「2025年慶應連合三田会大会」では、文字どおり総大将である実行委員長を務める市瀬豊和君からの挨拶を行いました。その後、塾からお招きした来賓の慶應義塾塾員センター栗生賢一郎部長、中里史朗課長にご登壇をいただき、栗生賢一郎部長から同期に向けたご挨拶を頂きました。 その後、市瀬豊和君より乾杯の発声を行い、400人を超える同期が一斉に杯を掲げ、互いに旧交を温め、酌み交わしました。 会の中盤には、2015年慶應連合三田会大会で記念品部会長を担ってくれた遠藤秀樹君から、本年慶應連合三田会大会記念品の数々をプロジェクターで紹介し、本年大会への高まる期待を伝えました。これは、すでに1年以上前から準備を進めてくれている10年後輩(1995年(136)三田会)から、全塾員への発表を前に真っ先に10年上級である私たち同期にぜひとも披露をしたい!との思いで提供してくれた資料でした。 会も後半を迎えたころには、同期であり現在は旧図書館内福澤研究センター事務長を務める高野泰彦君から、久しぶりに三田の山を訪れた同期に、塾企画展示などを紹介しました。 いよいよ大団円を迎えたころには、開会の「塾歌」同様、同期應援指導部出身、久木野良樹君指揮による「若き血」を合唱――生協食堂のみならず隣接する山食との窓が揺れる程の声が響き渡りました。その熱量の中、永年、私たち1985年(126期)三田会学年代表を担い現在、塾同窓会組織である連合三田会副会長も務める、宮尾武志君から中締めを行い、無事閉会いたしました。この中締めは、同期全員への感謝と本年、当番年度として迎える2025年慶應連合三田会大会への同期全員での取り組みと一層の「社中協力」を願ったものでした。 閉会後は、各学部のみならず、所属したゼミや部活での二次会、三次会が行われさらにに仲間との「絆」を深める一日となりました。 同期登録のお願い 2025年連合三田会大会では遂に最終幹事年を迎えるにあたり、同期126(1985)三田会公式ホームページ(本ページ:https://www.keio1985.com)も掲載活動を活発にいたしますので、この機会にぜひご覧をいただき、各学部やクラスなどでの様々な同期との集いのお知らせもお寄せください。 ご連絡先ご登録のお願い
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